【政治・経済】沖縄県知事の訃報がなぜ全国規模のニュースになっているの?【駆け引き?】

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沖縄県知事訃報が全国ニュースで大騒ぎな理由は?

2018年5月に、膵臓がんだったことを公表した翁長雄志沖縄県知事は、治療を続けていましたが8月8日沖縄県浦添市の病院で死去されました。
任期は12月まででしたが、これによって知事選の前倒しが行われることとなります。

20年以上にも渡る闘いが繰り広げられています。

自民党県連は既に宜野湾市の佐喜真淳市長の擁立を決めていますが、翁長氏擁立を目指していた「オール沖縄」は新たな候補者を再考しなければならない状態となりました。

オール沖縄ってなに?

オール沖縄とは『辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議』の略称で、2015年に結成されました。
自民党は普天間基地の辺野古新基地移設推進、そして翁長知事は移設反対派。
つまり今回の沖縄県知事選挙は実質、普天間基地移設問題が絡む政治的な思惑がドロドロと渦巻いているのです。

後継は玉城デニー氏か!?~8月23日追記

県政与党会派や辺野古新基地建設に反対する政党や企業、団体の「調整会議」は23日午後1時から那覇市の自治労県本部で緊急会合を開き、候補者として衆院議員の玉城デニー氏(58)に出馬を要請する事を決めたそうです。

ざっくり普天間基地問題について説明させてください。

その辺り苦手で良く判らないよと言う人用にざっくり説明すると、
この問題は、国・県・市の意見が纏まらなくてもめています
『普天間基地を辺野古に移したい推進派』VS『基地を県外に移動して欲しい、もしくは辺野古へ移設したくない反対派』で対立しています。
翁長知事は反対派の重要な人物でした。

普天間基地問題の簡単なまとめ。

20年以上も続いていますので、話はもっと複雑に色々な思惑が絡み合っているのだと思われますが、簡単に。

事の発端は1995年、沖縄で米軍兵士3人が12歳の少女をレイプするという事件が発生しました。

しかしこのような事件が発生しても日米地位協定によって警察は手を出せません
この事件をうけ、沖縄県で「米軍基地を無くそう!」という運動が盛んになっていきます。
沖縄県には日本にある米軍施設の7割もが存在しています。その中でも普天間基地は「世界一危険な基地」と呼ばれています。というのも普天間基地は町のど真ん中にあるのです。
市街地の上空を軍用機が飛ぶことになるのですから、危険ですし騒音も大変です。
この危険な基地を無くそうとする運動が始まります。
ただし、米軍が市街地に基地を作ったのではなく、基地を中心に町が出来ています。

翌年1996年には日米間で普天間基地移設が合意されます。
基地の移転先としては、現在キャンプ・シュワプのある辺野古が候補地となります。

しかし1997年12月に行われた辺野古がある名護市の住民投票では反対票が1万6639票と、賛成票の1万4267票を約2300票上回り反対が過半数を占める結果となります。
当時の名護市長比嘉鉄也氏は国の北部振興策を重視し、移転案を受け入れ辞任します。
続いて就任した岸本建男新市長は知事に従うというスタンスをとり、大田昌秀県知事と共に反対の立場となります。

1998年11月、自民党・公明党が支援する稲嶺恵一県氏が沖縄県知事となります。稲嶺県知事は「辺野古の基地稼働は15年間」「民間も使える飛行場」という2つの条件付きで、基地の辺野古移設に賛成します。

1999年11月、岸本市長が県知事に従うスタンスの為、国、県、市が『条件付き』での辺野古移転に合意し、計画は進行していくことになります。

2004年、普天間基地の近くにある沖縄国際大学米軍ヘリが墜落する事故が起こり、『早期移転』要望が高まります。

2005年、日米の政府から、辺野古の基地移設の変更案が発表されました。
この案は、県の条件である『民間も使える』という条件が満たされておらず
これにより、県と市は移設反対の立場となります。

2006年1月名護市市長が島袋吉和氏となります

2006年5月には、現行案となる「最終的な、辺野古の基地の形」に日米政府が合意しました。

2006年11月、自民・公明党の推薦をうけた仲井眞弘多氏が当選し新知事となります。
これによって、国、県、市の意見が辺野古移転で一致しました。

ハトに豆鉄砲を喰らわされる。

こうして一時まとまったように見えたのですが…
2009年
の政権交代により民主党の鳩山由紀夫氏が新総理となり事態は急変します。
鳩山総理は「県外移設に県民の気持ちが一つならば、最低でも県外の方向で」と基地の県外移設の姿勢を示したのです。

2010年、名護市長が民主・社民・共産が推薦する稲嶺進氏となり、市の立場も移設反対となります。

結果今度は、国、県、市の意見が辺野古移転は無し。と全く逆の形で合意することとなります。

ところが、2010年5月4日に「学べば学ぶにつけて、(アメリカ海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった」として鳩山総理は基地県外移設問題を先送りとし、6月には辞任してしまいます。

2012年移転推進自民党に政権が戻ります。
そして仲井眞知事は「基地移転の為の辺野古埋め立て」を「承認」し、工事も再開されました。

翁長知事が前知事の承認を取り消す?!

2014年12月、ここでついに翁長雄志氏が登場します。
仲井眞氏の任期満了に伴う選挙で第7代沖縄県知事に就任します。
そして、なんと前知事の出した辺野古埋め立ての承認を取り消してしまいます。

国対県の裁判が行われ、2016年12月の最高裁で、国側の勝訴が確定し、移設工事も再開されています。
しかし翁長知事は基地の辺野古移転に対し断固抵抗を続けていく姿勢を保っていました。

どうなる普天間基地問題?

今回の沖縄知事選挙は、普天間基地辺野古移設の方向性を占う重要な鍵と言う事になりそうですね。

 

台風24号が週末にもやってくるということで、沖縄では船など交通手段への影響を考え、期日前投票に行った方も多いようです。地域によっては投票日の前倒しをした場所も有った様子。
決着はどうなるのか…(2018.9.27追記)

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