2018年 7月 7日の投稿一覧

三重県が日本で一番暑かった日。最高気温はどうやって計測しているの?

暑い暑いと思っていたら、2018年6月27日の三重県は36℃。日本で一番暑かったそうです。
気象庁発表の2018年夏の最高気温ランキングでも6月29日現在、栃木県佐野に続き2位にランキングしています。

松阪こた堂接骨院の受付カウンターにある温度計も連日30℃を超えています。

温度計はもっと高い気温を示しているけれど、最高気温ってなんだ?

真夏になると、駅前で温度計をもったキャスターが中継していたり、車についている温度計では最高気温を余裕で上回る40℃以上を表示していたりしますよね。

気象庁が観測している『最高気温』ってどうやって測っているのでしょうか?
小学校の校庭にあった百葉箱のようなモノがあるのでしょうか??

気象庁のHPに答えが書いて有りました。

観測機器について。
Q:気温はどこで、どのように計測しているのですか?
A:気温の観測は、風通しや日当たりの良い場所で、電気式温度計を用いて、芝生の上1.5mの位置で観測することを標準としています。また、電気式温度計は、直射日光に当たらないように、通風筒の中に格納しています。通風筒上部に電動のファンがあり、筒の下から常に外気を取り入れて、気温を計測しています。

この通風筒百葉箱と違い、強制的に外気を取り込んで温度を計測しています。さらに日射によって中の温度が上がってしまわないよう二重構造で断熱材がはいっており、照り返しにも影響を受けにくい構造になっているそうです。
出来るだけ周辺環境の影響を受けないように気温を測定しているのですね。
場所によっては芝生ではなく裸地に防草シートという測定所もあるようです。

電気式温度計って何だろう?

温度計といえば、ガラスの筒で下に色のついた液体が入った玉がついているモノと隣にある玉が水につかっているモノというイメージだったのですが、電気式温度計とはどんなモノでしょうか?

電気式温度計は、温度の変化に対し金属の電気抵抗が変化する性質を利用した測定装置です。
温度が上昇するのに伴い金属分子の運動が激しくなり、電気抵抗が上昇し電子が金属内をスムーズに流れる事が出来なくなります。
その変化を計測することにより温度を測定します。自動・遠隔観測に適しており、気象庁など多くの機関で使用されています。測温素子には温度特性が良好で経時変化が少ない白金が用いられ、「Pt100」という規格の0℃において抵抗値100Ωの白金線が使用されています。
白金抵抗温度計は国際実用温度目盛りで 13.81K(-259.34℃)~903.89K(630.74℃)の間の標準温度計で採用されています。

実際の気温と体感温度には差異があります。

気象庁から発表される最高気温は体感温度とは大きく異なります。
昼間の駐車場などでは、アスファルトが熱を吸収し温度はぐんぐん上昇します。
また日差しを遮るモノのないグラウンドや河原なども、気温以上に体温が上昇してしまいがちです。

水分補給をこまめに行い、安全に夏を楽しんでくださいね。

七夕行事はハイブリット。色々混ざりあって日本オリジナルの行事となる。

日本の七夕は、中国の『牛郎織女』と『乞巧奠』日本の『棚機津女』が混じったもの。

七夕の由来について調べていると、必ず出てくるこの3つの行事について調べてみました。

中国の『牛郎織女』伝説

明の馮応京の著『月令広義・七月令』の中にこのような下りが有ります。「天の河の東に織女有り、天帝の子なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」
時代背景もあり、女性に対する差別観念を表すような内容となっていますが、民間に伝わる伝承はもう少し肉付けされた『お話』となっています。

乱暴に分けて2パターンあります。

パターン1(天の川の両岸在住バージョン)
川の東岸に織女が暮らしていました。織女は天帝の娘でした。織女はお化粧やオシャレをすることもなく、朝から晩まで機織りをしていました。
天帝はそんな娘を哀れに思い、川の西岸にすんでいた働き者の牽牛郎と結婚することを許します。
ところが結婚した二人は仕事をせず、毎日川岸でおしゃべりをしているばかり。
織物は納品できず、牛はやせ細ってしまいます。
天帝は『仕事をしなさい』と言いますが、二人は『明日から』と仕事をしようとしません。
天帝は起こって、織女を連れ戻します。
二人は悲しみ、仕事が手につかず、織物は納品されず、牛はますますやせ細るばかり。
天帝は、仕事に励めば年に一度会うことを許可します。
織女と牽牛郎は、その一日を楽しみに仕事に励みました。

パターン2(天界と下界住みバージョン)
牽牛郎は正直で働き者でした、しかし両親が亡くなったのち、兄嫁により一頭の老いた牛と、大八車、痩せた2ムーの土地だけもらい、分家させられてしまいます。不憫に思った老牛は牽牛郎に、「七人の天女が下界に降りてきて河で水浴びをする、天女の服を盗めばその天女と結婚できる」と教えます。
牽牛郎は天女の服を盗み、服がなく天に帰れなくなった織女と夫婦となります。夫婦仲よく暮らし、3年のちには息子と娘ができ、幸せな生活を送っていました。
ところが、天帝は天兵を使わして娘を天界に連れ戻してしまいます。
牽牛郎は天に登る方法もなく悲しむばかりでした。それを見た老牛が自分の角を折ると角が船となり、牽牛郎は子供たちとその船に乗って、織女の後を追いかけます。しかしあと少しと言うところで見つかり、2人の間に線を引かれます。その線は瞬く間に波の荒れ狂う天の河となり、牽牛郎と織女には渡ることができず、河を隔てて嘆き悲しむことしかできません。家族思いあう様子に感動した鳳凰が、かささぎ達を集め、天の河にかささぎの橋をかけ、その橋を渡って七夕の日に織女と牽牛郎は再会することができました。

『乞巧奠』は織姫に手芸や機織りの上達を願った。

糸や針の仕事を司る織女に、手芸や機織りなどの技巧が上達するように願う行事。
牽牛と織姫が年に一度会うその夜に婦人たちが月あかりの下で5本の針の穴に糸を通し捧げた。

日本に伝わる『棚機津女』神事

旧暦7月の、水の神が天より下りて滞在する2日間、川、海、池のほとりの小屋で棚機津女と呼ばれる巫女が機織をし、神が着る神聖な服を作り捧げる。
このとき禊を行うと、神が厄災を持ち去ると言われています。

年に一度七夕に願い事をし厄災を水に流す。

何だか色々ハイブリットして現在のお話と風習ができているようですね。